一杯のお茶から茶園が見える
茶農喜左衛門は代々受け継がれた自社農園から本物の宇治茶の味わいだけではなく、お茶づくりそのものの魅力をお伝えします。

初代 一四〇〇年代
当家の記録に残っている中では
一四六七年、初代小山喜三郎が
亡くなったという記述があります。
それ以来、私たちは脈々と宇治田原
奥山田の土地とともに生きてきました。
一四六七年、初代小山喜三郎が
亡くなったという記述があります。
それ以来、私たちは脈々と宇治田原
奥山田の土地とともに生きてきました。
明治期 一八〇〇年代
一三世紀からはじまったとされる
宇治田原のお茶づくり。
当園では明治期より茶の栽培を始めました。
宇治田原の山間地が育む土は
お茶づくりに最適とされ、生産量は
伸びていきました。
宇治田原のお茶づくり。
当園では明治期より茶の栽培を始めました。
宇治田原の山間地が育む土は
お茶づくりに最適とされ、生産量は
伸びていきました。


一九七一年
昭和四六年、現代表の小山忠成が
小山園製茶場としてお茶の小売り販売を
始めました。
お茶の飲み方の多様化など、様々な
環境の変化の中で、事業を続けて
まいりました。
小山園製茶場としてお茶の小売り販売を
始めました。
お茶の飲み方の多様化など、様々な
環境の変化の中で、事業を続けて
まいりました。
二〇一六年
新たな価値を届けるブランドとして、
茶農喜左衛門を立ち上げました。
「お茶づくりが見える製品づくり」を
コンセプトとして、様々な
商品展開を企画中です。
茶農喜左衛門を立ち上げました。
「お茶づくりが見える製品づくり」を
コンセプトとして、様々な
商品展開を企画中です。
